こんにちは、める妻です。最近こちらの本を読みました。いつもはビジネス書や歴史、地政学に関して書いてある本を好んで読みますが、今回はいつもと違うジャンルの本にチャレンジしてみました。
人生の壁 養老孟司さん著
読んだ本はバカの壁を執筆した養老孟司さんの本です。
難しいかな〜と心配していたのですが、エッセイを読むような語り口調で内容が入ってきやすかったです。頭の良い方ほどわかりやすく言語化できるものなんだな・・・と普段の自分の力のなさを実感してしまうほどでした。内容は今の社会問題に触れつつ養老孟司さんの考えが記されています。
自分に活かせそうな考えや内容
いくつかの章の中で、特に自分の日常に関連し、心に刺さったお話を紹介します。
世界の壁・日本の壁
『人の気持ちは論理だけでは変わらない』『人がただ集まることに意味がある』
今は合理的か否かを考える物差しとして利用しているという言葉にハッとさせられました。必要かどうか議論し、不要だという声が大きればそれを排除する。今まで必要とされてきたものを、論理的に不要だと考えただけで消し去るというのは本当に正しいのでしょうか。他のビジネス書にも、説得するには理屈ではなく大切なのは相手の感情である、というような文章を何度も目にしてきました。
親しいとは言えない親戚から母の墓参りに行きたい、姉妹で日程を合わせるから案内してくれという連絡があり、私は正直面倒に思いました。遠方から来るので、車の手配や食事などこちらが進めなければいけないのだろうかと嫌な気持ちになりました。正直、墓参りは本人の気持ちを整理するという意味が強いと思っているので、叔母たちの後ろめたさの整理のために付き合わされるのはごめんだと思っています。ただ、墓参りという名目で人があることを目的としているのかもと考えました。昔ほどに”共同体”を感じることがなくなったからこそ、お祭りや冠婚葬祭のような行事で人が集まるのは意味がある、というふうに考えていきたいと思います。
コロナ後の世界では、リモートでできるものは現地に行かなくてもいい、Face to Faceで実施する必要はないという論調が進んできています。本の中でも、文学賞た授賞式のパーティーが意味ないと判断され、リモートで開催されるそうです。リモートの方が、確かに交通費や会場費はかからないでしょうか、それによって本当に得られるものは我々が望んでいたものなのでしょうか。
日露戦争と明治時代を生きた人々を描く司馬遼太郎の”坂の上の雲”の中に、アルゼンチンの武官が日本の軍艦に乗った際の記述がありました。末端の水兵までもが、日本軍が戦争を行う意義について理解していたことに感嘆し、これが強さに繋がっているのだと記載されていたそうです。
明治自体と比べれば、共同体としての繋がりは弱く、”個”に焦点が当てられていることが多いと感じました。会社に置き換えても、会社が方針と掲げていることを、管理職だけではなく自一般社員にまで落とし込んでいくのは本当に難しいことだと思うので、当時の共同体としてのつながりは本当に強固なのだと感じました。共同体として、人と人との結びつきがなくなれば、個人の不安が増す。明確のメリットがなくても、論理的に不要かも知れないが、ただ人が集まることに意味がある、というのは今の社会を生きる人々に欠けている認識であると思いましたし、非常に胸に刺さりました。
こちらの章だけではなく、ハッとさせられるような言葉がいくつものっているので、興味がある方はぜひ手に取ってみてください。